suzuriでTシャツなどをリリースしました。
suzuriでデザインデータをアップロードするだけ(jpgかpng)でオリジナルTシャツを作れるのはとてもいい。プリント業者に頼んで刷るとなると「デザイン」以外にも「入稿」「ボディ選び」「プリント方法」「最小ロット」「在庫リスク」など考えなれければいけないことがたくさんある。それらを作る側が「考えなくていい」ようにデザインされている。「ズッキュン」という「いいね」機能でsuzuri自体がSNSっぽくなっていて、一つのコミュニティっぽくなっている様に見える。自分にはこの「軽さ」と「つながり」の感覚が現代的で「ちょうどいい」感じに思える。
近い所で、ストリートブランド10BOX(十匣)のPiguはTシャツのデザインを「iPhoneで作って配置は業者に頼む」的な事をいくつかのインタビューで喋っている。たくさんのアーティストを抱えた上でブランドイメージ作りを含めたポジショントークだと思うけど、どちらにせよ「軽さ」に価値がある様にブランディングして成功している。
もっと「かるい」人 、BLACKBRAINのiLLNESS 曰く「ブランドコンセプトとかを本気で語るヤツ、アタマおかしいでしょ」 みたいに「かるい」方が「若者のリアル」なのかと感じてはいる。Youthloser-1997も文字ロゴだけでかるい。
今回のリリースでの手順は三つ。
- Illustratorでデザインを作る
- データをアップロードする
- アイテムと配置を決める
ステップとしては「まぁまぁ軽い」と言えるか。「かるい」イメージを作りつつ、実は作りこんである(→「重い」)のが「一流」なのかなと思うが、自分は飽きっぽいので「とにかくかるい」を狙いどころにしたい。
suzuriではさまざまな手順がラクな分(つまりその「かるさ」と引き換えに)、一つ一つのアイテムの値段を高めに設定せざるを得ない。その割に「Tシャツ自体の質は皆同じ」であることは購入者にも分かっている。しかし、それがゆえに「デザイン」か「作成者」に対して値段を払っているんだ、という気持ちが生まれやすいはずだ。「Tシャツの質」はそれなりでいいんだ、たいていの人は。
それとは反対に、私たちが普段買う物のうちの多くは、一体何にいくら払っているのかがよく分からないようになっている。
自分は基本的にビジネスが下手なので、「何が売れるか」より「自分がどうしたいか」を中心に考えてしまうのだけれど、そろそろバランスをとるべきかと思うようになった。その点からいくと、こういう文章を書かずに「かるさ」をブランディングするのが正しいアクションにも思える。